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インタビュー2015-04-15

中学~大学とサッカーで活躍、夢をかなえた松戸出身の日本テレビアナウンサー山本紘之さんロングインタビュー「壁にぶち当たっても逃げずにもがき苦しむことが大事」

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 今年で27歳になる松戸市出身で、柏レイソルユース、大学とサッカーで活躍後、2011年、日本テレビ放送網(東京都港区東新橋1)に入社。現在、アナウンサーとして「PON!」「Going!Sports&News」に出演している山本紘之さんに子どもの頃の話やサッカーでの活躍、アナウンサーになるまでを振り返ってもらった。

日本テレビアナウンサー山本紘之さん

少年時代

− 松戸市出身というのはあまり知られていませんね。周りの人に山本さんのことを話しても知っている人がいなくて、日テレのニュース番組「news every.」に出ていたアナウンサーだというと分かる人が多かった印象です。

 そうですね。なかなか出身地を言うタイミングがなくて。関係する番組やコーナーがあればお話しできるんですが。

− 小学生の時のことを教えてください。

 小学3年生まで牧の原小学校で、その後、家族で引っ越ししたため、柿の木台小学校に転校しました。

− ソフトボールをやられていたんですよね。

 柿の木台小学校に転校してから4年生から6年生まで、少年ソフトボールチーム「陣ヶ前ソフトボール」というチームに所属していました。

− 大学までサッカーで活躍されたわけですが、その時点だと普通の子は野球へ行きませんか。

 そうなんです。小学校の卒業アルバムに将来の夢はプロ野球選手って書いてあります。本気で野球をやりたいと思っていました。中学校は第二中学校でしたが、野球をやるにはグランドが狭く感じました。

 小学校5年生と6年生の時に、3か月間期間限定のサッカー部に所属したことがあり、初めてサッカーの面白さに触れて、仲間もたくさんできました。そこで、中学生になった時、サッカー部と野球部に仮入部して、自分が続けたいと思う方を選ぶことにしました。結果的に、野球部の練習環境のこともありましたので、サッカー部に決めました。

− そこからが凄い活躍をされてます。何が起こったんですか。

 幸い、これは運というのもあるんですけど、もともと足が速くて運動神経は良い方だったので身体能力を活かしてフォワードとしてプレーしました。とにかく自分にボールを回してもらって走ってちょっとボールに触ってゴールを決めていました。また、ジャンプ力もあったのでコーナーキックはまず「自分に合わせろ」という感じで、ヘディングをバンバン決めていた記憶がありますね。

 高校に上がる時に周りの仲間がいろんなスカウトの方から声をかけられる中、僕は全く声がかかりませんでした。唯一、柏レイソルのユースの監督とコーチが、松戸市の大会の試合を見に来てくれた時、「セレクションを受けてみないか」と声をかけてくれたんです。

− 理由は聞きましたか。

 もちろん理由は聞きました。聞いたところ、監督から「フォワードの選手はストライカーとしてゴールにみんな直線的に動く中、君だけ相手のディフェンスラインとの駆け引きと味方のボールの出し手のタイミングをうかがう『プルアウェイの動き』が出来ていた。たぶん教わっていないのにもかかわらず」と言われました。

 ただ、セレクションに呼ばれただけなので、受かるとは思っていませんでした。技術は無いが思い切りの良さが功を奏したようです。

  セレクションで初めて会う子どもたちと作った即席チームのフォワードで「クロスを上げてくれ」と言い続けて、上げてくれたらガムシャラに飛び込むということを繰り返していたら、なんとか引っかかることができました。今考えるとよくそれで合格したなという思いです。

− 現在Jリーグで活躍している選手で、ユースで交流のあった選手はいますか。

 後輩では、柏レイソルの9番フォワードの工藤壮人選手、26番ミッドフィルダー太田徹郎選手、33番左サイドバック輪湖直樹選手と一緒にプレーしていました。

松戸の思い出など

− サッカーを一所懸命やっていたようですので、地元で遊ぶ時間はなかったように感じますが。

 高校生になるとどうしても柏中心になりますので、松戸は小学生から中学生までの思い出ですかね。「21世紀の森と広場」は小学校低学年の頃遠足で行った記憶があります。森のホールでの成人式には参加しました。

− 市内の飲食店などはどうですか。よく行った店とかありますか。

 三矢小台の自宅近くに「新華」という中華料理店があって、中学、高校とよく通いました。とても美味しかったです。当時は育ち盛りで食欲旺盛でしたので、「とりそば」という塩ラーメンと「肉うま煮丼」という、丼ものにラーメンの組み合わせを必ず注文していました。店のおばちゃんに「よく食べるね」と言われました。

− そのおばちゃんはお元気ですか。

 元気だと思います。高校生まで店に通っていたのですが、大学時代の空白期間を経て、社会人になって実家に戻りまた行くようになったら、僕のことを忘れていたようで2、3回目ぐらいに思い出してくれて「大きくなったね」と言われました。4年しか経っていないし、変わってもいないんですけどね(笑)。

 松戸駅の西口の千葉銀行の通りを隔てて向かい側の高砂通りにある「カレー専門店印度」という店がありますが、小さい頃から「あの店なんだろう?」って気になっていたんです。高校生になって同級生と一緒に行ったんですが、美味しかったですね。しっかりハマりました。サラサラのカレー、スープカレーなんですが、今まで僕が食べたスープカレーの中でベスト3に入る美味しいカレーです。

 それから同じ西口にある「軍次家」といううなぎ屋さんに社会人になって初めて行きました。ちょっと高めの店なんですが、なんか「大人になったな」という感じで(笑)。学生の頃はそんな高い店に自分で行けるわけないじゃないですか。社会人になって初めて自分のお金で食べに行きました。その店で両親にごちそうしましたよ。美味しかったです。滅多に行けませんが。

大学時代について

− 大学についてですが、スポーツ推薦で入られてますよね。

 明治大学の政治経済学部です。もし、サッカー推薦で入れなかったら、浪人してでも、大学を目指そうと思っていました。なぜ明治かといいますと、父と兄が明治で、自然と明治を目指すようになっていました。周りからは何も言われてはいなかったんですけどね。高校3年間はサッカーに明け暮れていましたので、サッカーで明治へ入れるならそれ以上のものは無いなとは思っていました。

− 2009年の天皇杯で「SURUGA I DREAM Award」の受賞についてお聞きします。

 チームメイトに恵まれました。その年に初めて作られた賞なんです。スルガ銀行さんと電通さんが改めて賞を作ろうということで天皇杯を象徴するものの1つが「ジャイアント・キリング」で、その趣旨で賞が作られました。「ジャイアント・キリング」を実現するゴールを決めたということで自分を選んでいただきました。

 その時のジャイアントはJ1のモンテディオ山形です。今では珍しくはありませんが、それまで、我々のような大学勢がプロチームを破ったことがありませんでした。初めて大学生がJ1チームを破ったという新聞の見出しを目標に戦った結果、勝つことができました。

− そんなにサッカー頑張ったら勉強する時間がありませんね。

 練習は基本的に午前中だけです。サッカーは2時間走ったらへとへとになりますから。1限、2限に授業のある人は朝6時から練習を始めます。8時に終わってその足で学校に向かいました。やはり授業は僕を含めてみんな睡魔との格闘だったと思います。

− では、サッカーと勉学を両立させながら偉業を達成したと記事に書いてもいいですか(笑)。

 ありがとうございます(笑)。明治大学体育サッカー部のモットーが「文武両道」だったので勉強も疎かにはできませんでした。まあ、寝てしまうこともありましたが(笑)。

− 大学を卒業して日本テレビに入社されるわけですが他の道は考えませんでしたか。

 僕はずっとサッカー選手を目指していました。サッカー選手になっていないのは、日本テレビに採用してもらったからです。日本テレビに受かっていなかったら、サッカーでプロの道を選んでいたと思います。選ぶにあたっては、相当悩みました。一言で言えるような単純なものではないんです。

 僕が見てきた先輩で技術的に優れていてもプロに入ったら挫折したり、寿命が短かったりするし、でもギリギリでプロになった人でも徐々に頭角を現して今でも活躍していたりします。「大学生の時にどうだからこうなれる」ということはないんだなと気づきました。

 サッカー選手は、寿命が短いから、けがをしやすいからといった理由では量れないんだなと。だったら、後は自分が覚悟を持って戦えるか、というところまで悩みました。

− 努力の裏付けがあってのこととは思いますが、トントン拍子に成功されているような感じを受けます。怒られるかもしれませんが「ラッキーボーイ」という表現がぴったりなような。

 年表にするとそうなりますよね。「ラッキーボーイ」と言われたらそれはそうですし、僕は否定しません。ラッキーだなと僕も感じますが、努力を怠ったことはありません。こういった努力をしてきたと言うのがちょっと恥ずかしいという気持ちもありますので、積極的には話さないですが。

 入社試験を受けようと思ったのは大学2年の冬です。というのは、先輩が受けていたんです。そこでこういう道もあるんだというのが分かって、自分の道しるべになり、自分も挑戦してみたいと思うようになりました。でも、アナウンサーになるための活動や勉強は一切していません。

 サッカー漬けでそれどころじゃなかったというのが理由です。サッカーと大学の授業で一杯一杯で、バイトをする時間もなかったんです。親の仕送りだけで、サッカーに打ち込む、勉強に打ち込む、といった4年間でした。

社会人になって

− 最初テレビに出た時は緊張しましたか。

 緊張しましたよ。脇汗たっぷりです(笑)。普段はスポーツの現場であったり、報道番組に出演していますが、昨日はバラエティー番組の収録でした。僕が出る場面はほとんど無いんですが、たまに話を振られるんです(笑)。

 話を振られた時にどうやって返そうか、考えて考えて、今は来ない、今回は来ないとか思いながら、ちょっと気を抜いてここは来ないだろうなと思っていたら急に振られたりして(笑)。それがドキドキで、周りに面白いことを言う芸人さんだったり、気の利いたことを言うタレントさんが並んでいる中で、アナウンサーとしてこういう席に座るとこんなに脇汗かくんだと思いました(笑)。

− バラエティー番組は好きなんですか。

 大好きです。テレビっ子だったので、それもあったのでアナウンサーを受けようというきっかけにつながったんだと思います。「しゃべくり007」や「さんま御殿」「エンタの神様」などが好きで見ていました。友だちと盛り上がる話のネタはテレビという感じです。

− FIFAワールドカップの実況をするのが夢なんですよね。実現しそうですか。

 実現するために努力しています。具体的にワールドカップへ行く努力というのは今の段階では特に何をしているというのは無いのですが、サッカー実況が上手いと言われるために休みの日に趣味も兼ねてですが、スタジアムに行ってサッカーの試合を見ながら90分間ただひたすら実況の練習をする、描写するといったことをしたりしています。

 業務時間外、会社以外の場所でどう努力するかが勝負になってくると思うので、今はとにかくたくさん場数を踏んで、いろんな所に行って選手から話を聞いて、いつか自分の肥やし、血肉となるように努力しています。

− この夢が実現したらグランドスラムですね。その後はどうなるんでしょう。

 そうですね。夢がかなったら、また次の夢が生まれると思います。そうやって生きてきたので。自分がまさか柏レイソルユースに入れると思っていなかったし、サッカーで明治大学に入ると思っていなかったし、試合に出てJ1チーム相手にゴールを決めるとは思ってなかったし、日本テレビに入ってアナウンサーになるなんて毛頭思っていませんでした。でも挑戦し続けて得た結果なので、今後も同じことを繰り返していきます。

− 出たい番組はありますか。

 日本テレビにいる以上、大きな番組に就きたいです。その代表作としては「24時間テレビ」が挙げられると思います。

− そりゃまた尺の長い番組ですね。体力勝負で向いているんじゃないですか(笑)。

 向いてますか!ありがとうございます。24時間がんばりたいと思います。そういった番組を担当して日本テレビの中核を担っていきたいというのが夢、目標です。

 今出ている番組は、「PON!」です。また、2月から月に1回最終土曜日の深夜1時半という遅い時間から放送している「サッカーアース」という番組のMCも担当しています。そして、4月からは「Going!Sports&News」にもスポーツキャスターとして出演しています。

− 報道番組はどうでしたか。

 去年の12月までニュース番組を担当していましたが、勉強になることばっかりで楽しかったです。やはり、生放送というものは、思っている以上に自分の慌てている姿であったり、表情だったり、癖が出てしまうものなんです。自分の癖って、画面で見ないと分からないんですけど、特に新人の時は先輩アナウンサーがアドバイスしてくれました。

子どもたちへのアドバイス

− 最後に子どもの頃から夢を持ち続けてかなえてきた山本さんから、子どもたちにアドバイスを一言いただけますか。

 ひたむきに夢を実現するために努力し続けることも大事だと思いますが、問題や壁にぶち当たった時にあからさまに逃げ出さないことがもっと大事です。

 辞めてしまうことも簡単ですし、練習場へ行かないことも簡単ですし、学校へ行かないことも簡単です。でも、もがいてみて、その結果乗り越えられなくても、もがいた時間がその競技や物事にプラスにならなくても、もがいたことこそがどこかで役に立つ時が来ると思っています。

 そこで本当に苦しんだ期間があったから、違う場所に行った時にあの苦しみに比べたらずいぶん楽だなと思う時が必ず来ると思うんです。壁に当たった時に簡単に逃げてしまうと、次もまた同じことを繰り返してしまいます。もがいた時間は無駄になりませんから、逃げずに頑張ってみてください。

 山本さんの現在の夢は、FIFAワールドカップの実況中継を担当すること。その夢をかなえるための努力を続けている。その夢が叶うと次の夢へ。「同じことを繰り返していくだろう」と山本さん。インタビューで「ラッキーボーイ」という言葉も出たが、決してラッキーだけではない夢を実現するための強い思いと行動力を垣間見せていた。

2015年3月11日 インタビュー:松戸経済新聞 編集長 森田浩之

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